ザイツが今季初優勝 グランネルは2度目の総合優勝に輝く
2023年4月2日(日) プラニツァ(SLO)HS240/K200
39th World Cup Competition
1 | ティミ・ザイツ(SLO) | 455.1pt |
2 | アンツェ・ラニセク(SLO) | 455.0pt |
3 | シュテファン・クラフト(AUT) | 445.1pt |
7 | 中村 直幹(Flying Laboratory SC) | 425.2pt |
8 | 小林 陵侑(土屋ホームスキー部) | 424.8pt |
長距離ジャンパーたちによる派手な空中戦に対し、スタイルジャッジは1年の労をねぎらうご祝儀とばかりに20点を連発。
既に1位から4位までの総合順位が確定していることもあってか、例年の最終戦以上にお祭りムードが漂った。
そんな中にあってザイツは2本ともコーチリクエストを使ったが、これは勝利への執念というよりは飛び過ぎを警戒してのものだったろう。
いずれにしても、これがうまく填まりザイツは今季初勝利を収めることとなった。2位ラニセクとの差は僅かに0.1pt。
グランネルとクラフトによって争われていたフライング総合タイトルは、お祭りのノリからやや蚊帳の外にあったグランネルが13位に沈みクラフトが3位に入ったことで、逆転でクラフトの手中に収まった。
また、やっているのかいないのかよくわからなかったプラニツァ7のタイトルもクラフトが獲得した。
日本勢では中村直幹がフライングに適性のある所を発揮して7位。第4戦ルカでの3位表彰台以来となる今季2度目の1桁順位でシーズンを締めくくった。
小林陵侑はジワとの総合5位争いにけりをつける8位。
チームJAPANにとって、これが今季最初にして唯一の複数名のシングル入り。
2022/23シーズン総括
例年より2週間ほど早い11月4日にプラスチックバーンのヴィスワで開幕した2022/23シーズン。
途中、サッカーW杯とのバッティングを避けた3週間の中断があり、最終戦は例年より1週間遅れて4月になるという長いシーズンだった。
ワールドカップ最終順位
順位 | Name | ポイント | 最高位 | 昨季順位 |
---|---|---|---|---|
1 | ハルヴォア-エグナー・グランネル(NOR) | 2128 | 12勝 | (4) |
2 | シュテファン・クラフト(AUT) | 1790 | 5勝 | (5) |
3 | アンツェ・ラニセク(SLO) | 1679 | 4勝 | (7) |
4 | ダヴィド・クバツキ(POL) | 1592 | 6勝 | (27) |
5 | 小林 陵侑(JPN) | 1065 | 3勝 | (1) |
6 | ピオトル・ジワ(POL) | 984 | 2位 | (14) |
7 | アンドレアス・ヴェリンガー(GER) | 902 | 2勝 | (29) |
8 | ティミ・ザイツ(SLO) | 853 | 1勝 | (8) |
9 | ダニエル・チョフェニック(AUT) | 851 | 3位 | (25) |
24 | 中村 直幹(JPN) | 275 | 3位 | (31) |
43 | 二階堂 蓮(JPN) | 49 | 17位 | (-) |
54 | 佐藤 幸椰(JPN) | 21 | 19位 | (13) |
63 | 小林 潤志郎(JPN) | 14 | 19位 | (32) |
63 | 佐藤 慧一(JPN) | 14 | 22位 | (49) |
82 | 竹内 択(JPN) | 2 | 29位 | (-) |
大会別優勝者
1 | ヴィスワ | LH | D.クバツキ(POL) |
2 | ヴィスワ | LH | D.クバツキ(POL) |
3 | ルカ | LH | A.ラニセク(SLO) |
4 | ルカ | LH | S.クラフト(AUT) H-E.グランネル(NOR) |
5 | ティティゼー‐ノイシュタット | LH | A.ラニセク(SLO) |
6 | ティティゼー‐ノイシュタット | LH | D.クバツキ(POL) |
7 | エンゲルベルク | LH | A.ラニセク(SLO) |
8 | エンゲルベルク | LH | D.クバツキ(POL) |
9 | オーベルストドルフ | LH | H-E.グランネル(NOR) |
10 | ガルミッシューパルテンキルヘン | LH | H-E.グランネル(NOR) |
11 | インスブルック | LH | D.クバツキ(POL) |
12 | ビショフスホーヘン | LH | H-E.グランネル(NOR) |
13 | ザコバネ | LH | H-E.グランネル(NOR) |
14 | 札幌 | LH | 小林 陵侑(JPN) |
15 | 札幌 | LH | S.クラフト(AUT) |
16 | 札幌 | LH | 小林 陵侑(JPN) |
17 | クルム‐ミッテルンドルフ | FH | H-E.グランネル(NOR) |
18 | クルム‐ミッテルンドルフ | FH | H-E.グランネル(NOR) |
19 | ヴィリンゲン | LH | H-E.グランネル(NOR) |
20 | ヴィリンゲン | LH | H-E.グランネル(NOR) |
21 | レークプラシッド | LH | A.ヴェリンガー(GER) |
22 | レークプラシッド | LH | H-E.グランネル(NOR) |
23 | ルシュノフ | NH | A.ヴェリンガー(GER) |
24 | オスロ | LH | A.ラニセク(SLO) |
25 | オスロ | LH | S.クラフト(AUT) |
26 | リレハンメル | LH | H-E.グランネル(NOR) |
27 | リレハンメル | LH | D.クバツキ(POL) |
28 | ヴィケルスン | FH | H-E.グランネル(NOR) |
29 | ヴィケルスン | FH | S.クラフト(AUT) |
30 | ラハティ | LH | 小林 陵侑(JPN) |
31 | プラニツァ | FH | S.クラフト(AUT) |
32 | プラニツァ | FH | T.ザイツ(SLO) |
4強がぶつかり合ったシーズン
グランネルが2020/21以来、2シーズンぶり2度目の総合優勝に輝いた。
ただし、開幕から4戦目でイエロービブを身に纏うことになってから最後まで手放すことなかった前回の総合優勝とは、やや趣が異なる。
グラフで見ていただくとわかる通り、リーダーは前半はクバツキ、後半はグランネル。
両者が入れ替わったのはシーズンの真ん中である17戦目。
圧倒的な強さでシーズンを席巻した前回優勝時とは異なり、激しい攻防の末に逆転で勝ち獲った総合優勝だったといえるのではないだろうか。
しかもそれは、単にクバツキとの関係を示すものではない。
総合2位のクラフト、3位のラニセクを交えての4強による激戦の末の総合優勝だった。
今シーズンは彼ら4人を軸に進んだ。
この4人による表彰台占有率は68.8%にも及び、ここ数年では突出して多い。
総合上位4名の表彰台占有率
2018/19 | 57.1% | (小林、クラフト、ストッフ、ジワ) |
2019/20 | 54.3% | (クラフト、ガイガー、小林、クバツキ) |
2020/21 | 48.0% | (グランネル、アイザイ、ストッフ、小林) |
2021/22 | 50.0% | (小林、ガイガー、リンビーク、グランネル) |
2022/23 | 68.8% | (グランネル、クラフト、ラニセク、クバツキ) |
4人のうちの一人も表彰台に上がらなかったのは、4人ともにエントリーしなかった第23戦ルシュノフを除けば、第21戦レイクプラシッド1試合のみ。
1人しか登壇しなかった試合も3試合しかなく、逆に4人中3人が表彰台を占めた試合は9試合ある。
4人のうち2人以上が揃って登壇したのは全32試合中27試合にも及び、表彰台の顔ぶれはいつも同じように感じられた。
特に第13戦まではこの4人以外に勝者はなく、4名による寡占とも言える状態はシーズンにややもすれば閉塞感をもたらしてしまったと感じさせるほどだった。
第14戦札幌で小林陵侑がこの状態に風穴を開け、以降、ヴェリンガー、ザイツが勝者となったが、優勝者はここ数年では最も少ない7人。
やはり今季は、グランネル、クラフト、ラニセク、クバツキの4強によるシーズンだったと改めて思う。
シーズン毎の優勝者数
10/11 | 11/12 | 12/13 | 13/14 | 14/15 | 15/16 | 16/17 | 17/18 | 18/19 | 19/20 | 20/21 | 21/22 | 22/23 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
10人 | 9人 | 11人 | 14人 | 13人 | 10人 | 9人 | 11人 | 11人 | 11人 | 8人 | 11人 | 7人 |
その他のシーズンタイトル
4 Hills Tournament 総合順位
1 | H-E.グランネル(NOR) | 1191.2pt |
2 | D.クバツキ(POL) | -33.0 |
3 | A.ラニセク(SLO) | -62.2 |
4 | P.ジワ(POL) | -101.2 |
5 | K.ストッフ(POL) | -103.3 |
18 | 小林 陵侑(JPN) | -312.1 |
35 | 中村 直幹(JPN) | -656.4 |
47 | 二階堂 蓮(JPN) | -896.7 |
50 | 佐藤 幸椰(JPN) | -911.2 |
55 | 小林 潤志郎(JPN) | -1006.5 |
62 | 佐藤 慧一(JPN) | -1111.3 |
RAW AIR 総合順位
1 | H-E.グランネル(NOR) | 2932.0 |
2 | S.クラフト(AUT) | -18.2 |
3 | A.ラニセク(SLO) | -147.6 |
4 | 小林 陵侑(JPN) | -207.6 |
5 | D.チョフェニック(AUT) | -210.8 |
26 | 中村 直幹(JPN) | -1058.5 |
39 | 小林 潤志郎(JPN) | -1804.0 |
44 | 佐藤 慧一(JPN) | -1932.0 |
46 | 佐藤 幸椰(JPN) | -2070.0 |
57 | 二階堂 蓮(JPN) | -2295.1 |
60 | 竹内 択(JPN) | -2415.3 |
PLANCA7 総合順位
1 | S.クラフト(AUT) | 1366.8 |
2 | A.ラニセク(SLO) | -14.5 |
3 | T.ザイツ(SLO) | -17.9 |
4 | H-E.グランネル(NOR) | -66.5 |
5 | D.プレヴツ(SLO) | -79.0 |
9 | 小林 陵侑(JPN) | -138.9 |
16 | 中村 直幹(JPN) | -179.9 |
36 | 佐藤 慧一(JPN) | -938.7 |
37 | 小林 潤志郎(JPN) | -939.3 |
64 | 竹内 択(JPN) | -1238.2 |
65 | 佐藤 幸椰(JPN) | -1238.8 |
Ski Flying 総合順位
1 | S.クラフト(AUT) | 480 |
2 | H-E.グランネル(NOR) | -30 |
3 | A.ラニセク(SLO) | -166 |
4 | T.ザイツ(SLO) | -169 |
5 | D.プレヴツ(SLO) | -243 |
8 | 小林 陵侑(JPN) | -316 |
19 | 中村 直幹(JPN) | -387 |
38 | 佐藤 幸椰(JPN) | -471 |
団体戦 大会別優勝国
1 | ティティゼーーノイシュタット | Mixed Team LH | オーストリア | 日本5位 |
2 | ザコバネ | Team LH | オーストリア | – |
3 | ヴィリンゲン | Mixed Team LH | ノルウェー | 日本4位 |
4 | レークプラシッド | Super Team LH | ポーランド | 日本3位 |
5 | ルシュノフ | Super Team LH | ドイツ | 日本8位 |
6 | ラハティ | Team LH | オーストリア | 日本7位 |
7 | プラニツァ | Team FH | オーストリア | 日本7位 |
ネイションズカップ総合順位
1 | オーストリア | 7093 |
2 | ノルウェー | -1462 |
3 | スロベニア | -1520 |
4 | ポーランド | -2204 |
5 | ドイツ | -2581 |
6 | 日本 | -5058 |
チームJAPANの戦い
今シーズンはマテリアルに関していくつかのルール変更があった。
とりわけスーツは昨シーズンに比べて見た目にも随分と大きくなった。そのため向かい風が強い台では飛び過ぎてしまうきらいがあり、この辺りについては来季に向けてなんらかの修正が必要かもしれない。
いずれにしてもルールそのものは公平なものとして概ね機能していたように思う。
ただ、チームJAPANは、その対応に大きく出遅れてしまった感は否めない。
佐藤幸椰のように身長の測定方法の変更により大幅にスキーを短くしなければならなかったことなどは致し方なかったが、やはりスーツについては完全に後手を踏んだといえる。
このこともあってチーム全体として成績は不振を極めた。
第14戦札幌で帰国した際にフルモデルチェンジに近いスーツの変更を施した。
これにより小林陵侑はそれまでの平均順位が20.5位だったのに対して札幌以降は6.5位と見違えるように成績が向上。3勝を挙げ、最終的には5シーズン連続となる総合5位以内に食い込んで見せた。
陵侑の成績が激変したことは、スーツがチームJAPANの足を引っ張っていたことの証左となったといえよう。
しかし、この変更にうまくアジャストできたのは陵侑だけ。他の選手たちの成績には大きな変化はなかった。よって不振の原因がマテリアルだけだったとも言い難い。
チームJAPANには、それ以上に大きな問題があった。
現場で指揮を執るヘッドコーチが不在という異常事態がそれだ。
昨年4月に2021/22までヘッドコーチを務めた宮平秀治氏が退任した際に、後任が決定するまでの間は原田雅彦氏が暫定的にヘッドコーチを務めることが発表された。
しかし、その後この話はなんだかうやむやなままで、結局シーズンの最後まで原田氏がヘッドコーチを務めることとなった。
“ヘッドコーチを務めることとなった” と書いたが、これは正しくない。
実際には原田氏が現地で直接チームを指揮することは一度もなかったからだ。
果たして原田氏は「暫定」という肩書のまま最後までヘッドコーチを務めたのだろうか?
それともどこかのタイミングで「暫定」から「正式」に ”人知れず” 肩書が変わっていたのだろうか?
いずれにしても、SAJも原田氏も、後任者は遅くともWC開幕までには決まると踏んでいたはず。原田氏が現地で指揮を執ることなど微塵も想定していなかったものと思われる。
それにしても、なぜ後任者は決まらなかったのか。
適任者がいなかったのか?
しかし、これは少し考えにくい。素人の私でさえも何人かの適任者の名前が思い浮かぶからだ。
では、引き受け手がいなかったのか?
なんとなく、こちらだったのではないかと。
だとすると引き受けてもらえなかったのはなぜか。SAJの求心力の問題? それとも…
チームJAPANのコーチは、SAJにコーチを雇うだけの資金がないので企業チームのコーチを借り入れているというのが実態。なので、本人の意向だけでなく所属先企業の意向にも左右される。また、渡瀬弥太郎氏の例を挙げるまでもなく、経済的な基盤がなければ引き受けることは難しいといえる。
よって、引き受け手はかなり絞られてくるとは思われるのだが、しかし、それでも…
ヘッドコーチの不在がチームJAPANの不振の原因の全てであったというつもりはない。
ただ、マテリアルへの対応等を含め十分な体制がとれていなかったことは事実であり、そのことが成績に及ぼした影響は、やはり計り知れないと思う。
折しも、シーズン終了と同時に小林陵侑が土屋ホームを退社しプロに転向することを発表した。
報道(北海道新聞デジタル2023年4月4日)によると、その理由として陵侑は「日本チームの現状を考え、底上げを目指す。選手一人一人の気持ちやサポート体制の見直しに一歩踏み出したかった」と説明し、「チーム間で分け隔てなく『一緒に練習しよう』というラフな感じが良い。国内で競っても、世界で戦えない」と語ったようだ。
後段の部分などは、かつて「部屋別制度」からの脱却を目指した笠谷幸生氏の考えに通じる部分があるように思われる。
ただ、その後に小野学氏がナショナルチームと部屋別制度の融合を図り、その延長線上に現在の日本のスキージャンプ界があるともいえる。
陵侑としてもこれを否定しようということではないのだと、私自身は今のところそう理解している。
いずれにしても、陵侑が表明した考えは本来であればSAJが示さなければいけない類の言葉だ。
陵侑だけでなく、選手もファンも、何かを変えなければいけないと漠然とではあれ皆そう思っているのではないか。 少なくとも私はそう。
小林陵侑の言葉をSAJはどのように受け止めただろうか。