内藤智文がワールドカップ初優勝 「しぶとく続ける大事さみたいなのは出せた」

Official Results
| 1 | 内藤 智文(山形市役所) | 128.7pt |
| 2 | アンツェ・ラニセク(SLO) | 128.6pt |
| 3 | アンティ・アアルト(FIN) | 127.6pt |
| 4 | 中村 直幹(Flying Laboratory SC) | 125.2pt |
| 18 | 二階堂 蓮(日本ビールスキー部) | 110.3pt |
| 31 | 佐藤 幸椰(雪印メグミルクスキー部) | 104.7pt |
| 32 | 小林 陵侑(TEAM ROY) | 104.3pt |
「とんでもない結果がついてきて現実味がない」
ワールドカップ初優勝を遂げた内藤智文の試合後のコメントは、実に正直な気持ちにあふれている。
「スキージャンプで優勝するのは本当に難しい。だからこそ『ワールドカップで優勝した』という現実を、受け止めることができても、飲み込みきれてはいません」とも。
試合は荒れた。
オスロのホルメンコーレンは難しい風が吹くことのある台だが、この日も1本目の途中から嫌な風が吹き始め、名うての選手たちでさえも空中で大きくバランスを失い落とされた。
それだけにとどまらず、棄権する選手が出るほどに危険な状況に変わっていった。
26番スタートの内藤智文は荒れる前に飛べたことが幸いした。
この時点でトップに立つと、1本目の最後までその座を守り続けた。
1本目が終わり、通常通りに2本目の開始時刻がアナウンスされた。
ただ、どう見ても2本目を行えるような状況ではないように見えた。
というか、1本目の途中でのキャンセルもあり得たような状況だった。
2本目開始時刻を少し過ぎたあたり。最初の選手がまさにゲートインをしようかというタイミングで、一転その選手たちがスタートハウスに引き上げ始めた。これにより2本目のキャンセルが決まったであろうことが認識できた。
それはまさに、内藤智文の初優勝が決まった瞬間だった。
1本目を飛び終えたとき、内藤自身、まさかそれが優勝決定ジャンプとなるとは思っていなかっただろう。
SNSには「そこそこのジャンプとそこそこのガッツポーズでは、私の体内温度とはミスマッチ」とも本人は記している。
名誉あるラストジャンパーとして会心の一発を決め、チームメートと共に固唾を飲んで得点メーターを見守り、その針がプラスに振り切った刹那ガッツポーズと共に雄叫びをあげ、チームメートに抱擁され肩に担がれる…そういう、形での優勝決定ではなかった。
「現実味がない」「体内温度とはミスマッチ」という理由の一つはこのあたりにあるのだろう。
2本目がキャンセルとなり、スタートハウスから選手が続々と引き上げていくが、ウィナーの姿はなかなか映らなかった。
ようやく映ったのは15分後。
現実味がなかったかもしれないし、体内温度とはミスマッチだったかもしれないが、表彰台に向かう内藤の表情はとても晴れやかだった。
今季3勝を含む5度目の表彰台となるアンツェ・ラニセクが2位。
内藤との差は僅かに0.1pt。
3位は、2016札幌でのデビューから10年でワールドカップ初表彰台を獲得したアンティ・アアルト。
フィンランド男子個人の表彰台は2013/14インスブルックでアンシ・コイブランタが優勝して以来12年ぶり。
なお、この日、小林陵侑にホルメンコーレン・メダルが授与された。
1895年から続くノルウェーで最も権威ある賞で、長期的な活躍やスキー界への貢献、レジェンド的な存在感に対して贈られるスキー界最高の賞。
日本人では、これまで、荻原健司、船木和喜、葛西紀明、高梨沙羅、渡部暁斗が受賞している。
内藤智文がワールドカップで勝利する。
少なくとも昨シーズンまでの私は、こんな日が来るとは夢にも思っていなかった。
失礼を承知で言うが、2018年2月のヴィリンゲンでのワールドカップ初挑戦から今シーズンが始まるまで約7年の間で、15試合の出場があるものの1ポイントも獲得できていなかった選手だ。
そして、今シーズンのWC開幕に関して言えば、全日本スキー連盟(SAJ)の選考基準5枠に入ることもできなかった。
それでも開幕メンバーの一員になったのは、10月のコンチネンタルカップでピリオド総合3位となり追加枠を勝ち獲ったからだ。しかも1ポイント差で。
そこから始まったストーリーは、まさに ”事実は小説より奇なり” を地でいくもの。
今季WC第2戦で、今までどうしても掴むことのできなかった待望のワールドカップ・ポイントを獲得。
第9戦では6位となり、正直かなり困難なミッションと思えたSAJが定めるオリンピック選考基準を1発でクリアして見せた。
悲願のオリンピックの出場こそかなわなかったが、フライング世界選手権で念願のフライングを飛ぶという夢をかなえたばかりか、日本初の団体金メダルを獲得するという快挙。
オリンピック期間には山形市職員として衆議院選挙の投開票作業に従事。再び欧州に向かうもスキーがロスバゲ。借り物のスキーで4位になるという離れ業も演じた。
内藤智文のこうした奇想天外なストーリーは欧州でも注目されているが、彼が雪のない東京都の出身であること、家族で作ったジャンプチームで活動を始めたこと、コロナ禍において会社を解雇されたこと、海外遠征費を全額自己負担していることなどはあまり知られていないのかもしれない。
私は、少年時代から内藤智文を知っていたわけではない。
でも、いつの頃からか彼の存在を知り、その冒険譚に夢中になった者のひとりだ。
だから、その一部でも伝えられればという思いで内藤のことは随分とこのブログでも書かせてもらってきた。
僭越ながら、下記に時系列に沿ってそれらを紹介させていただく。
これらは内藤のエピソードのほんの一部にしか過ぎないのかもしれないが、優勝後に彼が残した「しぶとく続ける大事さみたいなのは出せたかな。そういう意味で、この1勝は大きかったと思う」という言葉の意味をより深く知る一助となれば幸いに思う。
国内シニア初優勝
スポンサー・ロゴがないスーツが逆に誇らしげでさえある
ワールドカップ初挑戦
国内ラージヒル初優勝
悲願の国体優勝
グランプリ初ポイント獲得
初の開幕メンバーから失意の帰国へ
急転直下!「地をはってでも出る」
全日本選手権初制覇
選考基準を信じて戦ったが…
1ポイント差でワールドカップ追加枠を掴み取る
遂にワールドカップ初ポイントを獲得
オリンピックの選考基準をクリア
歴史的大勝利!フライング世界選手権団体金メダル
242.5m!借り物のスキーで表彰台に迫る
2026年3月15日 ワールドカップ初優勝
to be continued…















