北海道の中心部に位置し「へその町」としても知られる富良野。
舞台となったドラマ『北の国から』の人気により、今や北海道を代表する観光地となった。
1977年から1995年にかけてFISアルペンスキーワールドカップが10回開催され、2000年代にはスノーボードのワールドカップも開催されるなど、FURANOの名は世界的にも知られている。
それよりも早くに冬季国体や全日本スキー選手権が開かれるなど、富良野はウインタースポーツが盛んな町だったようだ。
なので当然のごとくジャンプ台もあった。
それが、北の峰カメヤシャンツェと富良野シャンツェだ。
なお、北の峰カメヤシャンツェと富良野シャンツェがあったとされる場所は1kmほどしか離れておらず、両者を結ぶ一帯が北の峰町であるため、北の峰カメヤシャンツェと富良野シャンツェを混同して書かれているネット記事も散見されるが、両者は別物であると思われる。
- 探訪日:2022年(令和4年)5月4日
- ぶらりシャンツェ探訪10「麓郷シャンツェ」の記事で紹介していた富良野市内にある二つのシェンツェ。
ようやく訪れることができたので、改めて別記事として編集し直しました。 - ただし、写真少なめです。かつ、ジャンプ台の姿は1mmたりとも写っていません。
北の峰カメヤシャンツェ
ワールドカップの舞台となった富良野スキー場は、富良野ZONEと北の峰ZONEの二つのエリアで構成されている。
富良野スキー場は、1962年(昭和37年)に「北の峰スキー場」として誕生。
1977年にワールドカップが開催されるのを機に、富良野の名を世界にアピールできるように「富良野スキー場」と改称された。
1982年(昭和57年)に富良野ZONEがオープンし、現在に至る。
北の峰カメヤシャンツェは、1967年(昭和42年)12月に北の峰スキー場(現在の北の峰ZONE)に完成。
30m級の台だったようだが、現在はその姿を残してはいない。
下の写真は、北の峰通りから観た富良野スキー場 北の峰ZONE。
北の峰カメヤシャンツェは、ゲレンデ中腹の矢印のあたりにあったのではないかと思われるのだが…
北の峰カメヤシャンツェは小さな台なのでシニアの大会は行われていなかったものと思われるが、1972年(昭和47年)の第9回全国中学校スキー大会の舞台となっており、留萌中学校の今巧選手が2本とも40.5mを飛び優勝したと記録されている。
おそらくK点もそのあたりに設定されていたのではないだろうか。
なお、シャンツェの名称に使われている「カメヤ」とは、大正6年創業の富良野の老舗で金物やプロパンガスなどを扱う㈱亀屋斉藤商店が、シャンツェの建設費用を寄付したことに由来するらしい。
富良野シャンツェ
北の峰ZONEの山麓から東へ約1km。富良野の中心街からほど近い朝日ヶ丘公園(通称:なまこ山)にあったとされる富良野シャンツェ。
富良野市の資料などに記述があるので、北の峰カメヤシャンツェよりも5年遅い1972年(昭和47年)12月に完成したこと、そして70m級の台であったことは確かなようだ。
1975年(昭和50年)2月の第30回冬季国体(輝く太陽きらめく新雪、人情(なさけ)が招く富良野国体)で使われたようなので、この国体に合わせて作られたのではないだろうか。
国体の記録では朝日ヶ丘シャンツェと記載されているので、こちらが正式名称なのかもしれない。
なお、その記録を見るとK点は86m。
ちなみに、この国体の成年男子3部の優勝は笠谷幸生。2位は青地清二。成年男子2部の3位は金野昭次。
彼らがメダルを独占した札幌オリンピックが開かれたのは、この3年前の1972年。
また、完成した年の冬の終わりである1973年(昭和48年)3月には第1回富良野ジャンプ大会が開催されている。
富良野ジャンプ大会は、1974(昭和49年)年に第2回大会(優勝は笠谷幸生)、1979年(昭和54年)に第4回大会が開かれたことまでは何とか調べられた。
そこから先は不明なのだが、どうやら大会は開かれなくなっていき、やがてシャンツェは撤去されてしまったようで現存していない。
下の写真は、朝日ヶ丘総合都市公園から観た「なまこ山」の北西端。
富良野シャンツェは、おそらくこのあたりにあったのではないかと思うのだが…
1年ぶりの再訪
2023年5月、1年ぶりに朝日ヶ丘総合都市公園を訪れた。
前回はシャンツェがあったと思しき場所からやや遠い西側の駐車場から「なまこ山」を眺めたが、今回は麓まで近づいてみた。
再訪のきっかけとなったのは、前回訪問時のブログを紹介したツイートになべやん様から頂いた下記のリプライ。
小屋の写真は以前にも見たことがあったのだが、現存しているとは思っていなかった。
これが今も残っているとなると、シャンツェ跡地を探すのは一気に容易になる。
実際、Googleの地図で小屋はいともたやすくに見つかった。
以前に写真で見たことのある小屋とも形状が一致しているので、教えていただいた小屋はこの小屋で間違いないだろう。
そして多分、この小屋の右側の斜面に富良野シャンツェがあったと思われる。
写真では少しわかりにくいかもしれないが、おそらくは斜面に対して垂直にではなく、斜めにシャンツェは設置されていたのではないか。
下の写真を見ると、この部分だけ整地されたように地面が綺麗。木々も細く、周りの木よりも若く見える。ランディングバーンの名残であろう。
本当は、茂みに分け入ってシャンツェの痕跡を探したかったが、カミさんが一緒だったために旦那の変態チックな姿を見せる訳にもいかず断念した。
もっとも公園で遊ぶ家族連れの目には、一心に茂みの写真を撮る中年男性の姿は、既に相当怪しく映っていたことだろうが。
まとめ
北の峰カメヤシャンツェ
- 1967年(昭和42年)12月に「北の峰スキー場」に完成
- 30m級
- ㈱亀屋斉藤商店が建設費用を寄付した
- 1972年(昭和47年)2月の第9回全国中学校スキー大会で使用された
- いつの頃かシャンツェは解体撤去された
富良野シャンツェ
- 1972年(昭和47年)12月に「なまこ山」に完成
- 70m級でK点は86m
- 朝日ヶ丘シャンツェとも呼ばれていた
- 1975年(昭和50年)2月の第30回冬季国体(富良野国体)で使用された
- 富良野ジャンプ大会が、1973年(昭和48年)~1979年(昭和54年)の間に少なくとも4回開催された
- やがて大会は開催されなくなっていき、いつの頃かシャンツェは解体撤去された
- ただし、当時の名残として、管理棟か何かの小屋が今も残されている