蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山とニセコ連山の主峰ニセコアンヌプリに囲まれた豪雪とジャガイモの町である倶知安。
隣接するニセコ町や蘭越町とともにニセコ観光圏を形成し、パウダースノーを求めて世界中からスキーヤーが集まる。
町の中心に位置するJR倶知安駅は、2030年に新函館北斗から札幌に延伸される北海道新幹線の停車駅となる予定。
倶知安シャンツェと旭ヶ丘シャンツェは、その駅から徒歩15分ほどにある町営旭ヶ丘スキー場のゲレンデ横に、まるで恐竜のような様相で佇んでいる。
- 探訪日:2013年(平成25年)5月18日
- そのうち記事にしようと思ったまま7年が過ぎてしまいました。
現在、コロナ禍で暇なGWを過ごしているので、ようやく重い腰を上げた次第です。 - ジャンプ台の写真は7年前のものなので、今とは状態が異なるかもしれません。
- 現地を訪れるのは、コロナ禍が終息かせめて収束してからにしましょうね。
倶知安町のサイトにある年表によると、ジャンプ台ができたのは1934年(昭和9年)。
その年表から、ジャンプ台に関する箇所だけを抜粋してみた。
- 1934年(昭和9年)
大仏寺スロープに後志初の固定シャンツェ建設 - 1952年(昭和27年)
旭ケ丘シャンツェ(30m級)改修完成 - 1963年(昭和38年)
旭ケ丘スキー場に倶知安シャンツェ(60m級)完成 - 1967年(昭和42年)
旭ケ丘シャンツェ(30m級)完成
他の資料でも確認したが、旭ヶ丘スキー場はかつて大仏寺スロープと呼ばれていたらしい。なるほど地図上には確かに大仏寺が見える。
また、後志支庁初とあることから、余市や小樽のジャンプ台よりも歴史は古いことになる。
大きい方の台が倶知安シャンツェ、小さい方の台を旭ヶ丘シャンツェと呼ぶようだ。
ただし、1934年当時から二つの台があったのか、それとも途中から二つになったのかは年表からははっきりとわからない。
1963年(昭和38年)に倶知安シャンツェができたことにより、翌1964年(昭和39年)から倶知安町長杯全道ジャンプ大会が毎年開催されるようになった。
笠谷幸生、岡部孝信、斎藤浩哉といった五輪メダリストも優勝しているが、参加者の減少、シャンツェの老朽化などにより1997年(平成9年)第32回大会が中止になったのを契機に大会は廃止された。
なお、斎藤が優勝した1992年(平成4年)第27回大会は全日本選手権NHを兼ねていた。
また、1970年(昭和45年)には、第25回冬季国体「美と力と若さの倶知安国体」の舞台ともなった。
倶知安シャンツェは、当初はK75(前述の年表では60m級となっているが、別の資料では65m級となっているものもある)だったが、国体の為に改修しK84(70m級)となった。今でいうノーマルヒルにあたる。
旭ヶ丘シャンツェのK点は不明だが、ミディアムヒルの扱いとなっているようだ。
ところで、この台はいつ頃まで使われていたのだろう?
1996年(平成8年)に第31回倶知安町長杯全道ジャンプ大会が開催されたのが最後だろうか?
前述のとおり、第32回大会が中止され、その後に大会そのものが廃止された理由のひとつが「台の老朽化」であったことからすれば、そのまま使い続けたとは考えにくいからだ。
ところが、ネットを漁っていたら『倶知安町旭ケ丘スキー場管理運営条例』なるものが出てきた。別表2の(2)に、二つのジャンプ台の名前が見える。
この条例自体は、右肩に「平成5年12月27日」と日付があるので、まだ倶知安町長杯全道ジャンプ大会が開催されていた頃のものではある。
が、附則を見ると「平成25年12月13日」という日付がある。別表2の(2)は、少なくともこの日付時点では生きていたと読み取れやしないか?
だとすると、二つのジャンプ台は平成25年12月13日の時点では、少なくとも町の条例上は現役のジャンプ台だったということになる。
私がここを訪れたのは平成25年5月。
つまり、ここに掲載したのは廃ジャンプ台の写真などではなく現役のジャンプ台の写真ということになるのかも。
信じるか信じないかはあなた次第ですけど。