二階堂蓮がワールドカップ初優勝 ドメン・プレヴツの進撃を止める

Official Results
| 1 | 二階堂 蓮(日本ビールスキー部) | 276.5pt | ペデルセン |
| 2 | ドメン・プレヴツ(SLO) | 276.0pt | フベール |
| 3 | シュテファン・エンバッハ―(AUT) | 275.8pt | ライトナー |
| 10 | 小林 陵侑(TEAM ROY) | 250.7pt | パロサーリ |
| 16 | 中村 直幹(Flying Laboratory SC) | 239.9pt | ラニセク |
| 25 | 佐藤 幸椰(雪印メグミルクスキー部) | 228.8pt | グランネル |
| 46 | 小林 潤志郎(Wynn.) | 100.8pt | フェットナー |
| 50 | 小林 朔太郎(雪印メグミルクスキー部) | 95.0pt | フォルファン |
二階堂蓮がワールドカップ(WC)初優勝。
実力勝負の好ゲームの中、1本目でシュテファン・エンバッハ―と同点でトップに立つと、2本目では迫りくる怪鳥ドメン・プレヴツを0.5pt差で抑え切った。
2022ルシュノフでのグランプリ(GP)で初出場にして初優勝を遂げたが、WCでの表彰台は2位となった今季第5戦ルカが初めて。
以降、第9戦クリンゲンタールでも2位、第10戦エンゲルベルクでも3位。
トップ10に入るのが当たり前という段階をすぐに越えて、表彰台争いをすることが当たり前という状態に入った。
しかもこれは、一時的な”好調”というよりは、はっきりと”成長”だと感じさせる。
その原動力は、”悔しさ” と “覚悟” だと思う。
1988年から91年にかけてワールドカップや世界選手権で活躍した二階堂学さんを父に持つ二階堂は、中学3年生から4年連続ジュニア世界選手権に出場するなど目覚ましい実績を挙げてきた。
中学3年の時に、そのジュニア世界選手権出場のために果たせなかった全国大会優勝を、高校3年時には同学年のライバルたちを倒して果たし、またその年のWC札幌大会では高校生として唯一エントリーされた。
しかし、同学年のライバルたちが次々と実業団入りを決めたにもかかわらず、彼にはどこからも声が掛からなかった。
「僕を選ばずだれを選ぶんだって。ねたましい気持ちが本当にあった」という。
この “悔しさ” を糧に、東海大学に進むと、国内では同学年では誰よりも早くシニア初勝利を挙げた。
そして、競技に専念するために大学を中退。決して簡単ではない “覚悟” の表れだろう。
以後、日本ビールスキー部所属となるまではアルバイトをしながら自らスポンサーを集めて活動していた。
こうして切り拓いてきた結果として今がある。
WCデビューから96戦。ついに掴んだ勝利は、日本人ではこれまで笠谷幸生、葛西紀明、船木和喜、小林陵侑しか勝っていないジャンプ週間という大舞台。
何度も何度も雄叫びを上げて喜びを爆発させた二階堂蓮ではあったが、表彰台では少し感極まったように見えた。
ジャンプ週間で総合4位に浮上しただけでなく、WC総合でもドメン・プレヴツ、小林陵侑に次ぐ3位に浮上した。
日本チームの第2エースとしての地位を確固たるものにしてきたが、今はっきりと小林陵侑と並ぶWエースと呼ぶにふさわしい存在となった。
素晴らしい舞台。
素晴らしい試合。
素晴らしい勝利。
4Hillsトーナメント暫定順位
| 1 | ドメン・プレヴツ(SLO) | 895.8pt | – |
| 2 | ヤン・ヘール(AUT) | -41.4 | – |
| 3 | シュテファン・エンバッハ―(AUT) | -41.7 | – |
| 4 | 二階堂 蓮(JPN) | -54.1 | 3↑ |
| 5 | フェリックス・ホフマン(GER) | -55.4 | 1↓ |
| 6 | 小林 陵侑(JPN) | -72.3 | 1↓ |
予選のラスト4人で魔風が吹き、ドメン・プレヴツはなんと30位で青組へ。
しかし、コンデションが整った本戦では、1本目でリクエストで1段ゲートを下げるも軽々とHSを越える131.0m。
4位で折り返した2本目は、これまたHSに届く128.0mでトップスコア。
2本ともHSに届いたのは二階堂蓮とプレヴツの二人だけ。最終的に二階堂に0.5pt差にまで迫ったプレヴツはさすがだ。
グランドスラムは阻止されたが、ジャンプ週間はプレヴツが2位に41.4pt差をつけて最終戦を迎える。
失格にでもならない限り、ゴールデンイーグルは彼のものとなるはずだ。


